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商工会議所の目的

商工会議所は地域の商工業者の世論を代表し、商工業の振興に力を注いで、国民経済の健全な発展に寄与するための地域総合経済団体であり、商工会議所法(昭和28年8月制定)という特別な法律によって運営されている認可法人です。商工会議所は、その地区内における商工業の総合的な改善発達を図るとともに、社会一般の福祉の増進に資することを目的としています。(商工会議所法 第6条)

商工会議所の特徴

商工会議所は4つの大きな特徴を持っています。

商工会議所の組織

会員および特定商工業者(※)によって成り立っています。

「会員」は11の業種に分かれた「部会」のいずれかに所属します。「会員」から選ばれた「議員」によって、事業達成のためにつくるプロジェクトが「委員会」。そのような商工会議所の運営をマネジメントするのが役員です。

特定商工業者とは … 会員・非会員を問わず、商工会議所法に定める事業規模を有する人々。

組織図

地域振興

~住みやすく活力のある地域づくりに貢献します~

お祭などのイベントを通じて地域の活性化や観光振興に努めるほか、ものづくりや文化の面からも地域資源の活用促進に力を注いでいます。また、環境問題にも積極的に取り組んでいます。

意見具申

~中小企業・小規模事業者の意見を集約して行政に反映~

部会活動を通じて会員の声を集約し、商工会議所としての意見を公表、これを行政に具申します。

これまでの活動

会員の意見の反映

すべての会員は、事業の種類によっていずれかの部会に属します。部会の決議は常議員会の決議を得て、商工会議所の意見となります。部会は、会員が意見を述べると同時に、情報や知識も吸収できる絶好の場なのです。全国各地の商工会議所の意見は、日本商工会議所を通じて国会や行政庁に具申されます。一人ひとりの会員の声が、国を動かすこともあるのです。このほかに、長野商工会議所では女性会や青年部の活動も行っています。

まちづくり

~中心市街地の再生に取り組みます~

(株)まちづくり長野とともに、長野市中心市街地の活性化を推進するため、「中心市街地の活性化に関する法律」に基づき、長野市中心市街地活性化協議会を組織しています。さまざまな関係者の参画を得ながら、中心市街地活性化事業の総合調整等を行い、賑わいあふれるまちづくりを進めていきます。

商工会議所の生い立ち

 中世ヨーロッパの時代、都市の政治を正しい方向に導き、商工業をさらに発展させるために組織していたのが「ギルド」という組合です。
 1599年、地中海に面したフランスの都市マルセイユは、一大貿易拠点として発展していましたが、地中海を横行する海賊の存在に悩まされていました。そこで、商人ギルドの連合体が「商業会議所」を設立、海上保安のため海軍を保持しました。これが、世界で最初の商工会議所であるといわれています。以来、ヨーロッパ諸国には、フランスに範をとった商工会議所が次々と設立されました。力を持った商工業者は、都市の防衛、財政、経済、警察、裁判などを支配し、国王の財政をチェックする議会をつくり、自治都市の発展に寄与しました。このような歴史が、現在の民主主義という政治体制につながっているといえます。
 日本で最初の商工会議所ができたのは、明治初期の頃です。幕末の開国の際に諸外国と結んだ不平等条約に対し、改正は国民の世論であると訴えていた伊藤博文、大隈重信らは、「世論というが日本には商工業者の意見をまとめる組織もないじゃないか」と英国公使に詰め寄られ、商工業者の世論結集機関の必要性を実感します。そのため、実業界の渋沢栄一、五代友厚らが商工会議所の設立を提唱した際、全面的にこれに協力しました。こうして1878(明治11)年3月、東京に日本初の商工会議所(当時は「商法会議所」)が誕生し、初代会頭には渋沢が就任しました。そして、8月には大阪、10月には神戸と、商工会議所設立の動きは全国に広がっていきました。
 1890(明治23)年には、「商法会議所」は「商業会議所」と改称されます。現在の名称になるのは、それから60年以上も経った1953(昭和28)年、「商工会議所法」ができてからのことです。

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